スクールの開業準備が一段落し、またイメージを広げていこうということで、久しぶりに本を読んでいます。
柴田南雄『声のイメージ』
正倉院の古い楽器についての精細な分析,イタリアの教会建築と音楽の数理の見事な対応の解析,西洋音楽における「美しい声」と雅楽など邦楽の歌唱における「自然の声」の比較――洋の東西を問わず時代をこえて,現代社会に満ちている多様な音の文化を,そして錯綜する音楽の状況を,達意の名文で明快に論じる.
著者は音楽では偉い先生っぽい。作曲もしてる。
ベルカント唱法は普遍的なのか
冒頭の文章で、著者が若い頃にたまたま同席した人類学とかの先生たちに「人間の本当の声はどんな声だと思う?」と尋ねられて、音楽をよく知る著者とはいえまさかここで「ベルカント唱法」という答えではあるまいと返答に困っていると、「人間の本当の声は赤ん坊の声だよ、ワッハッハ」と言われたという文章が出てきます。
現代においてはイタリア・オペラにおけるある種の理想的な歌唱法を指して用いられることが多い。
こういう謎掛けは意味にこだわらずインスピレーションのきっかけにしてみるのがお得。そういうわけで我田引水。
「響きのキホン」で説明してる発声(響き)は?
響きのキホン「あなたの咽頭が世界の中心になる。響け世界よ」でこれから書こうとしていた声の響かせ方って、何だかスピリチュアルな表現しちゃったけど要するに赤ちゃんのことじゃないのか?
我々は「あー私いま人前で歌ってるわー。どこまで声が届いてるかな、静かに聞いていてくれてるのかな、なんて思われてるかな」とか考えてしまいますが、赤ん坊は特にマジ泣きの時は、そんなこと考えずに声が響くのにまずは集中してるというか、身を任せているんだと思うんです(とイメージしてみる)。
もはや私が響き、響きが私。
自分自身が世界の中心。中心が響けば世界は響きで満たされる。
少なくとも、「響きのキホン」で書こうとしているのはそういうお話です(と予告)。
赤ちゃんの小さい身体で充分響くじゃん
ってことですね。大人になって「声が小さいんです」という人も赤ん坊の時はよく響く声だったハズ。そんなお手伝いができればと思ってます。